2007年09月06日

【巨星堕つ!】 人間やはりある程度顔が命です!(ちょっと別の意味で)

553743268_27.jpg

とある作家の会合で、そのとき肥満ぎみだったウンベルト・エーコ御大が「私はパヴァロッティに似ています。しかし私はパヴァロッティではないのです。がっははははは!」と自己紹介していたそうです。さすが20世紀世界文学の巨匠です。と同時に、ルチアーノ・パヴァロッティという男の「大きさ」がリアルに偲ばれるエピソードでもありますね。

実は吾輩、ちょうどこういう本↓
http://www.classicajapan.com/wn/archives/001336.html
を読もうとしていた矢先なので、今回の訃報にはちょっと驚きました。ユング先生的にはいろいろ言いたくなる局面でしょうけど。

それにしても、たとえば第三帝国が勝利して絶対的覇権を握ってしまったような世界では、こういう「超」人間的存在は大手を振って歩けなかったことでしょう。ああ、ナチが負けてよかった! と改めてつくづく痛感させられる次第ですね(爆)

ちなみにまったく無関係ですが、今度の土曜、吾輩は成田から出国します。目的地はまたしてもドイツ帝国です。マライの家に行って、その次の週末に戻ってくる予定であります。今回はマレーシア航空なので超南回りです。果たしてどんなことがあるのやら。まだ最初のドイツ訪問記も完結していないというのに!(爆)

ではでは♪
posted by 桜樹ルイ16世 at 00:00 | TrackBack(0) | 歴史・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月30日

【中国】 「人民意識」の真髄にあるもの! ざます♪

china01.jpg

■対日意識に改善傾向、対中もアップ…NPOが両国世論調査(読売新聞 - 08月17日 18:52)

 【北京=佐伯聡士】日本と中国の有識者らが両国関係について議論する第3回「北京―東京フォーラム」(今月27日から開催)の主催団体「言論NPO」や北京大学などは17日、両国で実施した世論調査の結果を発表した。

 調査は、安倍首相の訪中や温家宝首相訪日後の今年5月に行われた。それによると、日本側回答者1000人のうち、この1年で中国に対する印象が「やや良くなった」と答えた人は、昨年の調査に比べ約10ポイント高い17・1%。一方、「やや悪くなった」「非常に悪くなった」は、合わせて27・1%に上った。

 日中関係への評価がこの1年で変わったかについて、「特に変化していない」が53・9%と最も多く、「非常に良くなった」「やや良くなった」の合計18・8%を大きく引き離した。



このニュースの真のキモって、中国の国民1人は集合意識の1ユニットぶりのすさまじさ、およびそのコントロールのあまりな大味さ、というあたりかと思うのですが、たぶんわが国の知ったか的愛国市民は、相も変わらず強引に「朝日・毎日叩き」とお約束の「三国人非難」に結び付けたがるんだろうなぁ。

映画 『スターシップトゥルーパーズ』 で、「人海戦術で堂々とエイリアンに立ち向かう人民解放軍の宇宙軍」 を描く外伝があったら素敵なのに、とかいうポジティブ想像力を身につけて欲しいものですけど、わが国人民の脳スペックでは無理なのかな。

ああ、なんか老境のオビ=ワンになった気持ちがしてしまうことよ(笑)
 
posted by 桜樹ルイ16世 at 06:32| Comment(16) | TrackBack(2) | 歴史・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月28日

【考察】 童心と第三帝国をつなぐもの! の巻

544494025_99.jpg

『タンタンの冒険』とその著者の倫理性について、昨日所見を述べたんですけど、武装SS問題のインパクトがでかかったため、思索としては我ながらあまり大したことない内容でした。しかし一日経ったらいろいろ見えてきたので、そのへん書いてみようと思います。

今回のお話、ニュース報道記事だけを見るといわゆる「ちびくろサンボ問題」と同列で、つまり「こういう作品を野放しにするから人権意識が阻害されるんだ!」「いやそれは考えすぎだ!」という応酬の材料にしかならん気がします。が、しかし作者エルジェが自覚的なナチ・シンパだったというプラスアルファの事実は、その手の綱引き的な議論では問題の真の深層に至らないことを暗示しているように思います。

544494025_128.jpg

『タンタンの冒険』の場合、「ピュアな愛らしさ」を売りにメジャー化していたものが、実は「無自覚で遠慮のない暴力性」と抱き合わせだった、ということがスキャンダル性の核心になっているわけですけど、この両者をつなぐ概念のひとつが「無邪気さ」だったりします。

「無邪気」ゆえ「無害」、とは言えないあたりがポイントですね。

無邪気な意識は、往々にしてモノゴトを過度に単純化して描きます。それ自体、描かれる側からしてみれば暴力そのものです。精神的な、というより「意味的」な暴力というべきでしょうか。で、まさにそれこそナチがフル活用したステレオタイプ化の問題なんですけど、しかしステレオタイプ化こそが、実生活の上で、モノゴトを端的に把握・操作するのに最も効率的な方法であるのもまた事実です。しかも、そのように過度の単純化を行った方が、しばしば「カワイイ!」と好評を博したりします。

このへんが実に難しいところです。

『タンタンの冒険』のピュアな愛らしさの本質は、ひょっとしてこの「過度の単純化」に起因するものかもしれません。その上で具現化のセンスが優れているため、作品としての魅力・説得力が備わってしまうというか。かつてマライが「可愛いのは良いけど、可愛すぎるのはむしろあやしい!」と言っていたことがあるんですが、これはその「過度」な部分を指しているように思えます。

「過度」な部分の不自然さを見抜ければいいけど、人間、いつもそううまく行くものではないですね。どうしても主観で何かにすがりつき、肩入れし、次第にバランスを欠いていってしまいがちです。「ちびくろサンボ」の無自覚な差別性を訴える人も、「言葉狩り」の表現規制の不自由さを訴える人も、ともに自分の「旗印」への執着が始まったところからおかしくなるように見えます。
もし、人間の精神状態を戯画的・似顔絵的に直視する能力があれば、その対立する両者とも、かなり歪んだ像となって知覚されるような気がします。

「旗印」つまり極度にシンボル化された概念を現実に突きつける、という意味で、ナチスとエルジェは底流の文脈を共有していたといえるかもしれません。そして、そういった価値観たちの延長上で人びとはシンボルのぶつけ合いを行い、結果として「バランスを欠いた世界」の闘争状態を共有するのです。

これこそ、観念的暴力の勝利です。

エルジェの作品世界は、「単純化理解」のひとつの洗練された到達点として評価できる気がします。それゆえ、単純正義によって完全否定するのではなく、大人、子供で使用法の異なる「薬にもなる毒」という認識で尊重すべきだと考えます。

しかし、自分で言っておいてなんですけど、その実現は非常に難しいです。
なぜなら、読者の多くは、年齢を問わず、自らが作品世界の価値観に盲従することを潜在的に望んでいるからです。この葛藤はこの先もずーーーっと続くのでしょう。人間が「いわゆる人間」であるうちは。
posted by 桜樹ルイ16世 at 00:00 | TrackBack(0) | 歴史・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月27日

【雑記】 8/15 終戦記念日と呼ばれるあの日!! の巻

torihada01.jpg

「8/15」 の近辺、テレビではこぞって記念番組やらドラマをつくったりしますが、日本が 「被害者であり、かつ加害者である」 ことを的確に描いた作品が何故つくれないんじゃろうか、と思うことしきりです。あれも盆踊り的なお約束文脈の 「風物詩」 として消費されることが目的の 「商品」 なのでしょうか。

もし、上記したような条件にかなった作品をつくろうとしても、たぶん 『まんが日本むかし話』 的なインスタント因果応報ちっくな話に収斂してしまうだろうし、何より、量産型思考をふりかざす右傾な人たちが難癖をつけまくるからやらないんだろうなぁ。

ということで、つくづくわが国の文化的国力の薄さ浅さが痛感される今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。吾輩は暑くて死にそうです。

ちなみに 「あの日」 の思い出として唯一イケてるのは、数年前に松千代閣下がメールで寄越してきた以下の文章です。


今日は、敗戦記念日........

耐えがたきを、耐え!

忍びがたきを、忍び!!

ついに、忍びに、なった!!!



以上です。黙祷!!!!
 
posted by 桜樹ルイ16世 at 00:31| Comment(20) | TrackBack(0) | 歴史・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【極悪真相】 世界の子供たちの夢の原動力に武装SS魂が! の巻

543298007_17.jpg


タンタンに抗議 各国で広がる

 【ブリュッセル26日時事】世界中で親しまれているベルギーの漫画「タンタンの冒険」シリーズの1作をめぐり、植民地主義的で人種差別的な表現が目立ち、動物虐待も目に余るとして、各国でボイコットや訴訟など抗議の動きが広がっている。(時事通信)



この問題が顕在化する以前、『タンタンの冒険』お膝もとのベルギー在住のshohojiさんから、『タンタン』作者のエルジェ(本名:ジョルジュ・レミ)が、作風のソフトなイメージとは裏腹に、実は凄い右翼人種差別主義者で、なんとナチス戦記業界ではお馴染み、SS第28義勇擲弾兵師団「ヴァロニエン」指揮官のベルギー人SS少将レオン・デグレールを崇拝していた、というお話を伺いました。

543298007_205.jpg


個人的にはおよそ「100へぇ〜〜〜〜」ぐらいのインパクト。

しかしこの話、なかなかネタにしにくかった.....というのも、皮相なナチ糾弾も武装SS伝説信奉も嫌う吾輩としては、「極上の食材」でありながら、なかなか調理の切り口を見つけ出せなかったんですね。

エルジェのダークサイドを突く観点では、レオン・デグレールはどこまでもスター・ウォーズのシス卿の師匠みたいな存在でなければならず、逆に戦記業界の観点では、彼は「敢えて一兵卒でドイツ軍に入営し、外国人のハンデを乗り越え、武装SS師団指揮官にまでのし上がった傑物」でなければなりません。
で、この双方の「でなければなりません」の重力が、思いのほか人間の認識力・知覚力そのものまでを束縛してしまうため、クロスオーバー的に知的興味をそそる話題にしにくいわけです。困ったもんですね。

吾輩的な本音を言わせてもらえば「いやー、まさに闇の底つながりというか、ほんまもんの『悪の枢軸』とはこういうものなんですね!!」という感銘が真っ先に挙げられます。大局的にはもはやそれしかないでしょう。なんか、ありがちなオカルト文書では語られない真の欧州ナチ文化底流について考える一助にもなりそうだし! 超素敵!!
でもそれって『タンタンの冒険』ファンと武装SSファン、双方の神経を逆撫でしそうですね。ていうか、吾輩の「極め系」な感銘って、往々にして着地点となる業界がまったく無いですね。それこそ自分自身のワールドにしか(笑)

しかしレオン・デグレール、ベルギー人でもワロン系だけあって、やはりつらがまえのナチ度が低いよのう....と、そんなことを考えながら吾輩は戦車模型をつくったりするのであります。うむー。
posted by 桜樹ルイ16世 at 00:00 | TrackBack(0) | 歴史・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月24日

【イベント報告】 8/12 吾輩はワンフェスに行ってきたのです。

WonderFestival2007_01.jpg

ワンダーフェスティバル、略称ワンフェスというのは、こういうものです。
ひらたくいえば模型オタクの祭典であります。メーカーや個人商店の出店がいっぱい並ぶのです。
会場を眺め渡すに、吾輩のような 「戦車バカ一代」 な人は少数派で、どっちかといえば美少女アニメフィギュア系の皆様が主流ですね。吾輩は肩身が狭いです。とはいえ萎縮するのは苦手なんですが(笑)

WonderFestival2007_02.jpgWonderFestival2007_03.jpg

今回この場にやってきたのは、マイミクでもあるイラストレーター・マンガ家のモリナガ・ヨウさんにお会いするためです。メッセージのやりとりなどしているうちにそういう展開になったのですが、以前から模型誌上で 「ドイツ戦車のデザインは戦後わざとらしいほどおとなしくなったけど、東西統一後にふたたび 『悪のマシン』 度を高めはじめた!」 など、吾輩の心の琴線に球速155kmのストレートをぶち込むネタを連発し、さらに、兵器系モデラーが敬遠しがちな 「兵器を開発運用する人間の宿業とは一体何ぞや」 という自問自答を真正面から繰り返し続ける知的男気にシビれ続けていたので、邂逅を非常に楽しみにしておりました。

で。

いやー、期待していた以上に充実爆発なひとときでした。モリナガさんお忙しい中まことにありがとうございました。ちなみにビッグサイト内の喫茶店が埋まっていたため、そこらのベンチで缶ジュース一本をサカナに90分サシでひたすら話し込む、という虚飾抜きのガチンコ展開でありました。あまりにも濃密だったため話題のすべてを転記するのは不可能ですが、重要議題を集約して表現すると、概略次のようになります。

@ 兵器趣味に踏み込んだ以上、 「悪」 や 「死」 の問題に分け入らねば勿体ない。
A 小市民的な良識だけを視界に入れて兵器趣味を堪能しようとするのは無理がある。
B 兵器や戦争という思考材料を、視野の狭い人が占有する状態は不幸である。


以上です。あと、映画 『男たちの大和』 は巨大な実物大セットを組んでいるのになぜ 「巨大感」 が無いのだろう? など 「リアルとは何か」 という観点に議論が及んだのも印象的なところです。
話していて非常に強く感じたのが、モリナガさんの 「連想力」 の豊かさというか、一見関係ない事物どうしの本質的なつながりを見抜くセンスの強力さですね。これは比較文化的思考を展開する上で非常に重要なポイントだと思うのですが、さらにプロとしての画才があるわけです。いやー、「天が二物を与えてしまった」 という感じで、なんとも羨望の念を禁じ得ません(爆)

しかしよくよく考えるに、ワンフェスという 「巨大な自覚なき現実逃避マインドの集合体」 の只中で 「事物をよりリアルに知覚するための道」 を議論しまくったというのも、なにやら皮肉めいた構造性を感じずにいられません。
我々は価値ある知的パルチザンなのか、蟷螂の斧なのか、それとも.....実は 「彼らと同じ穴のムジナ」 だったり!?(爆)

ちなみに当日、他の活動としては、『マシーネンクリーガー』 シリーズで有名なSF系イラストレーターの横山宏さんの塗装実演(これは凄かった! 塗装、というより 「絵」 を立体的に掘り出していく感じ!)を見たり、以前青山の個展で顔見知りになった横山さんの奥様(気さくでいい方です)に挨拶したり....ということで、意表を突いて、ほとんど何も買い物をせずに終わりました。

WonderFestival2007_04.jpg

ワンフェスに行ったのはこれで3回目ですが、まー、たまにはこういうこともあるのです。いやはや。

WonderFestival2007_05.jpgWonderFestival2007_06.jpg
 
posted by 桜樹ルイ16世 at 23:54| Comment(15) | TrackBack(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月18日

【雑記】 ある、異様な光景について

Chernobyl01.jpg

先日、仙波堂さんのお店で、「最近、ストルガツキー兄弟の 『ストーカー』 をモチーフにしたウクライナ製のアクションRPGゲームが出たのだが、こともあろうに舞台をチェルノブイリにしているのだ。うーむそれでいいのかウクライナ人!? しかし製作に6年かけただけあってグラフィックの凝りぶりは恐ろしい!」 などとという話題でひとしきり盛り上がっていました。

小説 『ストーカー』 について:
http://piaa0117.blog6.fc2.com/blog-entry-1.html
タルコフスキーの映画 『ストーカー』 について:
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/stk.html
超絶ゲーム 『ストーカー』 について(デモムービーあり):
http://stalker.zoo.co.jp/index.php

ということで 「やはりロシア文化圏というのはいろいろな意味で只者ではないのー!」 というのがいつもながらの結論だったのですが、そしたら先日、サンクトペテルブルク在住のロシア人マイミクのマイテさんが、自分の日記で 「チェルノブイリ周辺の現状」 の写真集リンクを紹介していました。で、これが何ともすごすぎるのです。ぜひご覧下さい。

http://fishki.net/comment.php?id=20542

いかがでしょう。いやー、一体なんなんでしょうかあの 「壁画」 は。あきらかに、「放射線災害の悲劇を世界に、そして次世代に訴える」 というだけではおさまりのつかないサムシングを感じずにいられません。そこでマライに見てもらいました。彼女の感想は、以下の通りです。

******************************

人間の目と耳と鼻の能力が、限られているよね。
動物にしか聞こえないものとかあるし、赤外線とかが見えなかったりする。
現実にはそういう、ふだん見えないところがいっぱいある。
普通の人間なら 「。。。。。。。」 で、誰かが 「。。。。。。。。。。。」 だったら、その人が一般的な人間の現実よりもいろいろみていて浮いてしまうことになるね。
壁に絵を書いて、こもったこころでそこでナニカを残し、それをまた写真にとって、見たら、そこのナニカが写真を通じて伝わってくる。
霊的世界の入り口にいる。
入れないけど、そこに立っている。

******************************


なるほど、であります。
いずれにせよあの 「壁画」 には、作者の人間的な意図を超えた何物かが張り付いている感じがします。「見てしまった」 からには、ある種の精神的責任を果たさなくてはいけないような 「ナニカ」。

ううむー。
 
posted by 桜樹ルイ16世 at 10:29| Comment(18) | TrackBack(1) | 歴史・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月02日

【雑記】 ねこ議論!!

oscar01.jpg

【ニューヨーク27日時事】米東部ロードアイランド州プロビデンスの高齢者養護施設で飼われているネコが、入所者の死を予知するとして話題を呼んでいる。ベッド上で体を丸めて入所者に寄り添うのが「死のサイン」。これまでに25人以上の死期を正確に当て、サインが出ると施設側は家族へ通知するなど最期の時に備えるようになったという。

oscar02.jpg
(この写真はvoodoo65さんコメントリンク先から)

えー、写真のネコさんが問題の「お迎え」ネコだそうです。ウチの母親も申しておりましたが、けっこう人生知ってそうで味わいのある顔をしてますね。

この記事で書かれているMixi日記の多くが「ネコに悪気はないんだろうけど、迷惑な話だよなぁ」という論調で、正直その点は吾輩も同感です。たとえば自分の母親が死にそうな状態のときにこのネコがふらふら寄ってきたら「あー、いかんねー」とか言って速攻ナースステーションに抱えて行ってしまうでしょう。まあ、往生際の悪さといえばそれまでですが。

で、何が言いたいのかというと、「サインが出ると施設側は家族へ通知するなど最期の時に備えるようになったという」という、このなんともストレートに「死のお告げ」を受け入れる精神環境はなんなんだろう? ということです。たとえ高齢者養護施設といえど、日本で同じ状況が成立するとはちょっと思えんですから。
よく死生観についてはキリスト教文化と仏教文化の違いがどうのこうのという議論が出ますけど、これもそういう話で説明つくものなんでしょうか??? そのへん、病院側の個別事情も含めて気になるところです。

うーむ、しかし抱きごたえありそうなやっちゃな。
「お告げ」と無関係な範囲で仲良くしてみたい気はあります(笑)

oscar03.jpg 
(この写真は凡さんコメントリンク先から)
posted by 桜樹ルイ16世 at 06:53| Comment(43) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月16日

【映画評】 俺は、君のためにこそ死ににいく 新城卓監督/石原慎太郎脚本・製作総指揮

ishiharamovie01.jpg

いやぁ、例の映画を観てきました。

石原先生肝いりの作品だけに、いかに右寄り美学に満ちた作品かと思いきや.....まあ、後半、取ってつけたように「靖国で会おう!」というセリフが出てくるあたりはお約束としても、皇軍の高級軍人の横暴さや、軍事的にまったく無意味な「死」がいつの間にか目的化されてしまう不条理といった、通例リベラル反戦的な観点から強調される面が意外と綿密に描かれているのがちょっと意外でした。
「靖国美化」 はあっても、当初予測に反し、史実をねじ曲げてまで特攻精神を正当化しようとする作品ではないようです。

.....しかし。

吾輩、観ていて非常に困ってしまいました。
なぜって、右だの左だのという以前に、画面に出てくる特攻パイロットが、全然 「明日死ぬ運命が決まっている」 人間っぽくないんですよ。確かに 「熱演」 はしています。しかしそれはあくまで 「チカラこぶ見せたるで!」 的な熱気にすぎないんですね。
というかぶっちゃけ、映画の冒頭、戦局がまだやばくなってない時点での飛行学校の場面とかで、人の動き方が妙にバラエティ番組っぽいのが非常に気になりました。あれでいいのかおい?? と、そのへんの違和感がけっきょく最後まで払拭されずに残ってしまった感じです。

総合的にみて、本作、よくも悪くもあの 『男たちの大和』 とまったく同じく 「現代人による懐古イメージの集積」 の重力圏内にあるような気がします。こう言ってはミもフタもありませんが、死んでいった特攻隊員たちが大霊界でこれを観たらむしろ怒るんじゃないでしょうか。
方向性の正邪はともかくとして、真に史実の意義を追う熱意があるならば、あの超傑作映画 『U・ボート』 みたく、歴史精神の核心を刺激して 「過去の一断面を呼び寄せてしまう」 ぐらいインパクトのある作品にしてほしかったです。

また、余談ですけど、制作費をけっこうかけた割に、米軍機による機銃掃射の弾着表現が、なつかしのゴレンジャーとかダイナマンの戦闘シーンを見ているようなチープさで、これまた妙に悲しかったです。

ishiharamovie02.jpg

確実なる死が目前に迫った人間には、そもそも世界の見え方が違ってくると言われます。現実の深奥までを知覚できるようになり、そこで生と死について新たな意味を発見する.....従容として特攻出撃に赴いた者の中にも、「お国のため」 云々はさておいて、そうした境地に至ったケースがあるのではないかと思います。で、敢えて反リベラル言説的な見地から見ると、実にこのへんこそが、軍事的必要性という観点では断じ切れない 「特攻の意義」 の再評価の切り口になる、と思うんですけど.....いかん。これではいかん。本作にそのような霊感は一片たりともありません。事前にいろいろ考えすぎて損したっす。先に書いたテーマにしても、むしろ、北野武の 『ドールズ』 や伊丹十三の 『お葬式』 を観た方がいろいろ触発されるところ大ですよ。

ああ、石原慎太郎、なぜこんな出来の映画であんな満足気だったんだろう.....そこが理解できんよな。リベラル視点から批判することになるだろうと思っていたのに、まさかタカ派な観点で既にギブアップなシロモノだったとは! 石原慎太郎、やっぱ実は大したことないのか.....とか思ったその刹那!!

なんと、吾輩の隣の席で観ていた若者が泣きじゃくっておりました。

ちょ、ちょっと待て。おまえ何故こんなんで泣きまくれるんだ!? ひょっとして何か悪いものでも食ったのか!? と思わず一瞬詰問したくなるぐらい驚愕しましたよ。ええ、マジで。しかし、その驚きの中で吾輩はあることに気づきました。
こういう絵空事っぽさばりばりなものに真顔で感動できる人間の方が、なんだかんだいってストレートに 「捕虜虐殺」 や 「住民虐殺」 に手を染めやすいのではないか、ということに。そう、ナチのホロコースト犯罪の研究でも言われているように、「現実感」 を容易にスイッチングできるかどうかが、そういう畜生道世界への適応力のカギなのです。

とすると.....この映画は何らかの意味でよく出来ているのではないか、一見それとわからぬ形で、何かの選別を行うためのきわめて優れた機能を持っているのではないか、と吾輩は思い至りました。無論、これは単に規模のでかい思い込みにすぎないかもしれませんが、少なくとも 「作りが甘い」 「弾着表現がゴレンジャーっぽい」 とかいうツッコミで得々と満足してしまうよりマシでしょう。解釈の可能性というものは、ある程度、製作者の意図を超えて追究されるべきだと思いますから。
この映画、「なぜこの世にこういう形で存在する必要があるのか」 という点をよくよく多方面から考え直してみると、なかなか興味深い存在だったりします。

てなわけで、たとえボルヘス的な「悪の逆転価値観」が来ても大丈夫! という形而上的防御万全の体勢でこの映画に臨んだ吾輩のもくろみは見事に裏をかかれました。さすが石原慎太郎先生、自覚しているかどうかはわかりませんが、みずから火ダルマとなって日本人の本音本性を暴露するために 「降臨」 した男だけのことはありますの。いやぁ手強い!!.....のかな(笑)

ishiharamovie03.jpg
 
posted by 桜樹ルイ16世 at 08:44| Comment(27) | TrackBack(2) | 映画・TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月06日

【意識深層物語】 いまさら、いまこそ「あの」都知事選を考えてみたり!!

Sozialfaschismusthese01.jpg

ええ、いまさらな話でまったく恐縮なんですが。

石原慎太郎が都知事選で三選を果たしましたね。で、これについては都民の範囲を超えて好悪さまざまな感情が渦巻きましたけど、個人的にいちばん印象深かったのが、反石原統一候補擁立の失敗.....というか、もっとありていに言えば、浅野史郎候補を攻撃する共産党の主義主張が、かの悪名高い社会ファシズム論と極めて類似していたことです。

社会ファシズム論というのは、ありていにいえば、「真に危険なのはあからさまに右翼ナショナリスト的姿勢をとる者ではない。そいつらは精神能力の乏しさのため、どうせ早晩滅ぶ運命にある。むしろ、ソフトで良識的なふりをしながら右派に妥協的な姿勢をとる奴らこそ、駆逐しにくく、また右派の思想を権力の真の上層にもたらしうる存在ゆえ、人民の真の敵であり脅威である」 という主張です。第二次大戦前、ドイツ共産党はこの論法でさんざん社会民主党を叩きのめし、しかもナチを放っておいたため、第三帝国の誕生に非常に貢献しました。ぱちぱちぱちぱち♪

そう、暴力的熱狂だけでなく、穏健で良識的な市民の失望も、第三帝国の誕生を促した大きな要因なのです。

で、こういうわかりやすい史的教訓がありながら、今またおんなじ現象が起きてしまう。吾輩は共産党を感情的に嫌う人間ではないのですが、いったいこの偏狭さ、バカさ加減というのは何なんだろう、と思ってしまうわけです。

皆様、いかが思われます??

まあ、普通に考えれば、共産党の硬直思考はいつもこうで.....とか、浅野陣営の戦術が.....とか、マスコミの商業主義的に無責任な態度が.....とか、しかつめらしい議論はいくらでもできるんですが。
が、しかし。
その上で、現実がここまで派手にみごとに 「戯画化」 しきってしまうのはなぜか、という一点に注目した場合、吾輩はあえて石原くん個人が放つパワーというものに注目したいと思っています。

石原慎太郎って、感情的に嫌っている人からは 「悪魔」 だの 「ヒトラー」 だの、さんざん言われてますよね。そういう悪口雑言の多くは単に 「良くないとされるものになぞらえる」 だけの取るに足らない内容なんですが、石原くんの存在意味をよくよく考えてみると、やはり彼は内実的にみごとに悪魔でありヒトラーだと思うんですよ。
もうちょっと補足すると、悪魔的・ヒトラー的に実にいい仕事をしている、というべきかもしれません。

ときに、そもそも 「悪魔」 とは何でしょう??

一般に悪魔は 「邪心の象徴」 であり、「人間をことさら悪の道に誘導するもの」 と思われています。しかしこれは、実はいささか単純すぎる認識ではあるまいか? 人間の邪心の発露を 「あいつにだまされたんだ」 と外的要因のせいにする言い訳がさりげなく混入しているのではないか? と吾輩は思うようになったのです。

そのきっかけは、ソヴィエトの作家ブルガーコフの 『巨匠とマルガリータ』 です。あの小説に出て来る大悪魔ヴォランドは、人間を悪に誘引するのではなく、人間の欲求を実現し、そしてその意味を本人に見せつける存在でした。つまり、結果として、欲求がもう圧倒的に大多数 「悪」 「獣性」 として表出してしまうだけなんですわね、悲しいことに。
さすが、英国タイムズ紙の 「20世紀を代表する文学作品」 ランキングでベスト3となっただけのことはあり、吾輩は、宗教思想的な合理性から見てもこれが 「悪魔」 の機能の真髄なんだろうなぁ、といたく感じたのです。

その伝でヒトラーという存在を考えると、これまた結構当てはまりますね。ドイツ人は否定したがるかもしれんけど、ヒトラーはドイツ国民をだましたというよりも、ドイツ人の根源的欲求を、ウソでない範囲で極端に先鋭化しながら具体化させた存在だと思うんで。

Sozialfaschismusthese02.jpg

ということで、先述した都知事選での反石原包囲網の泥沼も、そうした石原慎太郎先生の 「欲望引き出し念力」 によって強化されたものだと考えれば、少なくとも観念文学的に趣きぶかいものになることは間違いありません。というか、実際そういうものなんじゃないでしょうか。

石原くんの数々の問題発言や問題行動は、ある一定水準以上の意識レベルの人間の理性を嘆かせる一方、平均レベルの人間の獣性には (思想的な賛否を越えて) 非常に心地よい共鳴をもたらすような気がします。んで、それに疑問を持たずそのまま飲み込まれるかどうかが勝負なんですが、いずれにせよ人心の真価を測るテスターもしくは試金石として、実によくできた存在だなーと思います。
けっきょくのところ理性的に石原慎太郎嫌いな人って、石原くん本人を嫌っているというより、彼の言動に酔っていい気になっている連中の 「醜さ」 がイヤなんだろうと思いますしね。

なので、吾輩にとって、石原慎太郎というのは単純な好き嫌いを超えた関心の対象なんですよ。うーむ。
本人にそういう自覚があるかどうかはわかりませんが、彼は、何かの平均値・代表値の 「的確な表現」 なのですから。

もう皆様ご存知のように、最近、石原慎太郎はカミカゼ特攻映画をプロデュースしました。石原先生はここでうかがえるように、美学家としてけっこうなコダワリと主張を持った男です。
ヒトラー治下の第三帝国にレニ・リーフェンシュタールあり、スターリン治下のソヴィエトにセルゲイ・エイゼンシュテインあり.....そして、今もっともノリノリでイケている日本代表の悪魔として、石原先生はどのような超映画をつくり上げたのか!? なんだか本人けっこう満足しているみたいだから、悪魔ウォッチャーたる者これはじつに見のがせません。なんといっても、ここには 「日本人の動物的美学性の代表値」 が先鋭化した形で表れるはずなんです。

ちゅーことで次回、必殺映画評 『俺は、君のためにこそ死ににいく』 です。

乞うご期待!!!
 
posted by 桜樹ルイ16世 at 22:45| Comment(22) | TrackBack(0) | 歴史・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。